演奏会の終り、車で送ってもらう途中に、凄い入道雲に出会いました。
みるみるうちに大きくなって、遠くで盛大に雷をばりばり放ち始めました。
すると車で送ってくれていた打楽器の友人が、何やら興奮を始めたので、「どうしたの?」と聞いてみたら……。
雷はパーカッションの理想の音だから、もっと聴きたい、お願い窓開けて!!
ははあ、自分の楽器を愛するとは、こういう事を言うのか、と不思議と感心してしまった私です。
こんにちは、そしてこんばんは。コンサートマスターの井川知海です。
本日も徒然なるままに、どうぞゆるりとお付き合いくださいませ。
自分(音楽家)にとって楽器とは、どういう存在ですか?
音楽家を目指す者達が交わす会話の中では、割と「あるある」なこの質問。
ついこの前にも、後輩のチェリストにその話を振ってみたら、何やら興奮し始めましたので、「どうした?」と聞いたら……。
「恋人に決まっているじゃないですか。何言ってるんですか?」
やや半ギレされました。(笑)
そのまま恍惚とした表情でチェロを愛撫しだした後輩君を、私は勝手に心の中でゴーシュ君と呼ぶことにしました。
さて、私は楽器を擬人化するのが、実はあまり好きではありません。
いや、一時期はありますよ?
男子中学生が自分の右手や瞳に意思が宿っていると勘違いをする様に、「くっ俺の楽器が……。」となるのは、皆さんが通る暗き道です。嘘ですが。
でもある時から、私はふとこう思うようになりました。
「恋人ほど、自分の思い通りになる事なんてない」
どうした、私。(笑)
実はその時丁度、失恋したというのもあったんですが(笑)、自分の心も自分の思い通りにならないのに、他人の心なんて思い通りになる訳がないと思ったわけです。
楽器に人格を与える事は、自分が楽器が上手く扱えないと認めてしまうようで……だからこその忌避なのか。(笑)
もしかしかしたら、音楽家はこうして病んでいくのかもしれないと思う、今日この頃。
ちなみに、私、独身です(殴
それならば、私にとってヴァイオリンとは何かと問われれば……。
それは、自分の心を映す鏡だと思います。
楽器を弾いていると、普段隠しているあんな本性や、見えない気持ちがそのまま映し出されているような気分になります。
心がささくれ立っていると、不思議と音楽も刺々しくなりますし、それで初めて、「あ、私苛々してたのね」と気づくこともしばしばあります。
私にとって、楽器は自分の心と対話する為に必要な、大切な相棒なのです。
音楽の振り見て、我が振り直せ。いつだって、私が大切にしているモットーの一つです。
数年前に、恩師(既婚)とその話をしたら、
「つまり、あなたと楽器は夫婦なのね。」と言われました。
そうか。僕とヴァイオリンは夫婦なのか。
……あれぇ?
本日はここまで。最後までお読み頂き、ありがとうございました。
井川知海